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さんぽ道・よりみち道・やすみ処
ふるさと遺産、産業遺産、記念物、石造物、伝承、語りつがれて来たことなど、散歩してシャター押して一言書きつずります。
サイクル・さんぽ 映画の舞台「浮き城」の面影探し
2012/05/19
戦国の水城・石田三成落とせず
行田観光レンタサイクルを利用しました。
忍城跡(浮き城)、水城公園は、天正十七、十八年(1589、1590)のにおいは、消えていましたが、市民の皆さんの憩い、釣り場として大勢の方が楽しまれていました。
模擬 建物 行田市郷土博物館 (土塁の囲まれた 建物、)
豊臣秀吉の天下統一。 その最後となったのが、北条氏の小田原城であり、成田氏勝が小田原に参陣し、近域は、ほとんど攻め落とされ、この忍城だけとなった。
「
成田記巻五」 写し
今、氏長、小田原あって軍兵少ない。
味方は心おくれ、敵は勇気を増すので、一人でも多い方がよい、領内にふれて農人、工匠、商夫、出家、山伏、社人すべて城内に入れ加える。
籠城の兵糧を永く保つには、日頃領内の寺社、百姓、富家の蓄えている米麦、大豆、小豆、まぐさ,薪まで、敵に乱暴されれば、そのままの損失。
今城内に運び入れ軍用に用い、軍終わって二倍にして返すといえば、持っている者も悦んで出すであろう。 奥方の仰せ、あっぱれなる奥方の計らいとほめたたえたという。 その数、数万石に及び、二、三年は籠城するも心配しない量となった。記されている。
四時頃から、一天真暗なり 雷鳴がひびき三尺ほど増水したので、脇本・坂本の水練の達人を頭に足軽、農民の中から水に慣れている者十人余りで、風雨の激しさにまぎれ、水中を潜って堤際につき、痛み始めた堤に道具で、斬り破ったので、一度に数拾尺の堤が崩され、三成の陣所におしかけ、大将、三成、九死に一生を得たという。
『のぼうの城』 和田 竜 小説では、備中高松城の切腹して果てた清水宗治の智勇を併せ持つ武将でなく、氏長の伯父の子、長親は、成田記でもこれと言う、話題が見つからず、智、勇など大将に求められる常識的なイメージからはずれた意図が、
「でくのぼう」・「のぼう様」と親しみこめて呼ばれる設定の小説に成っている。
家康の側室、西郷 局 子 秀忠(二代将軍) 弟 忠康(徳川家康の四男)(天正八年浜松城にて生まれる)
井伊直政 娘 (正室)
忠康 (東条)松平を相続 天正十八年(1590)家康が関東に移ると忠康には忍城に十万石を与えられた。
行田市内の埼玉古墳群・若王子古墳群・真名板古墳群・佐間古墳群・若小玉古墳群・小見古墳群・大稲荷古墳群・斎条古墳群・酒巻古墳群をさきたま古墳群の世界遺産への運動が始まっていました。
行田市郷土博物館、形象埴輪の 良いものが展示されて居ました
。
蓮のテーマパーク古代蓮の里
古代蓮の自生地で園内に42種類、12万株を育てています。
夏の早朝、蓮の花でいっぱい。世界の蓮、日本の蓮。
Posted by つぼさ
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