七重の塔 遠江国分寺跡 よみがえれ

七重の塔 遠江国分寺跡 よみがえれ

 6月10日   「国分寺まつりIN遠江」 が開かれる。
七重の塔 遠江国分寺跡 よみがえれ


七重の塔 遠江国分寺跡 よみがえれ 遠江国国分寺のシンボル七重の塔は、心柱の長径の40倍224尺(66.5m)
 と推定されている。

遠江国国分寺は、奈良時代の741年政治の争いや、天候不順での穀物の不作、
疫病などが  続いていたため、聖武天皇は、仏教の力でこれらの不安を取り除こうと、全国に66の国に国分寺(僧寺) 国分尼寺を立てるように命じました。
 (国分寺建立詔) 今から1250年あまり前でした
七重の塔 遠江国分寺跡 よみがえれ

遠江の国と呼ばれ国府が磐田駅南側付近(御殿・二之宮遺跡)にあったと考えられています。
 8世紀後半に遠江の国府が磐田に整った。
 
 遠江国分寺は平安時代に焼失の記録と近年の発掘調査から平安時代の中頃まで 続づいたと 推定されています。

    昭和26年(1951)全国の国分寺跡の発掘調査の最初が遠江国分寺跡で行われました。
 金堂、講堂、塔、中門、回廊の配置がわかり、 僧寺の範囲は180m四方と推定されて 翌年、国の特別史跡に指定されました。
七重の塔 遠江国分寺跡 よみがえれ七重の塔 遠江国分寺跡 よみがえれ
七重の塔 遠江国分寺跡 よみがえれ

七重の塔 遠江国分寺跡 よみがえれ

 「塔本塑像」と呼ばれる小さな仏像 、塑像の仏像作りが、ありました。
七重の塔 遠江国分寺跡 よみがえれ

平成18年度からの史跡整備の 発掘調査で、主要建物の基壇(土台部分)が
「木装基壇」と呼ばれる特殊な構造で、全国の寺院で初めて確認された。

木の柱の 燈籠跡  木製排水路など、遠江国分寺跡は木を多用した寺院
である事がわかった。

 軒瓦の 軒平瓦は 三日月の方で蕨の模様、全国的に独特の瓦だそうです

「塔本塑像」と呼ばれる小さな仏像頭部が出土し 塔の初層(1階部分)
が仏像群で飾られていた可能性がわかったこと。ふれあいガイドの会 の説明を頂きました。
 
七重の塔 遠江国分寺跡 よみがえれ

市役所6階 より 66.5m の 高さと、国分寺跡を見わたす
180m四方と推定されていましたが、おもな建物が分布していた範囲は南北253mあった事が、わかった。 現在では僧寺の範囲は南北253m、東西180mと考えられている。
七重の塔 遠江国分寺跡 よみがえれ


  合成写真   希望 夢ロマン
 
  


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