午前~駿河匠宿→丸子城跡→吐月峰柴屋寺
午後~大岩3丁目天徳院裏→賎機山城跡→賎機山古墳→浅間神社
丸子城跡は今川義忠の遺児竜王丸が、母の北川殿と文明8年(1476)から長享元年(1487)
までの間丸子城を詰城として居たと思われている。
永禄12年(1569)信玄の駿府侵攻によって武田氏の領有となり、天正10年(1582)武田氏
滅亡まで改造拡張がなされたようで、三日月堀、丸馬出し、大竪堀など、遺構が良く
残っている。
戦国期の武田系の縄張りが残り合戦もなく、特徴が良くわかり、また整備もなされている。
今川範政駿府進出しの詰城として築いたのが賎機山城跡 応永18年(1411)
安倍城の狩野介 と対峙した尾根上に大堀切が2本・堀切が2本で土塁など見られない。
参考文献ふるさと百話12 静岡新聞社
著 長倉智恵雄