遠州古城・砦探訪会10月 (城址の城主のガイド)


  午前~→石巻山城跡→野田城城跡→長篠城跡 
   午後~本陣昼食→田峯城跡
 遠州古城・砦探訪会10月 (城址の城主のガイド)
  逆転のドラマが多い野田城は、永正5年(1508)年に築城されたと伝えられ、菅沼定則
 菅沼定村、菅沼定盈の居城とつずいた。
遠州古城・砦探訪会10月 (城址の城主のガイド)


  この頃は東三河は、駿河の今川氏に属し、今川氏親の勢力拡大の時期げあった。
  永正12年(1515)大河内貞綱が引馬城(浜松)で反今川のあげたので、今川に従う
 東三河の 軍勢が動員され、菅沼定則、田峯の菅沼定広等と社山城(磐田)に入り
 大河内勢と戦っている。
  定則は戦功を上げ、遠江に領地が加えられる。

 
  今川氏親の死により勢いにかげりが見えたので、西三河の松平清康が東三河に進出、
 今川の庇護があてに成らず、牛久保(牧野信成)作手城(奥平定勝)田峯城(菅沼定広)
 等とともに定則も松平清康に従う事となる。

従おうとしなかった宇利城(熊谷実長)を攻めに定則は、奥平定勝とともに先陣し城内
 の内応者通じ勝利し宇利城を貰いうけた。

  天文15年(1546)尾張の織田信秀の攻勢の動きに、松平広忠の助力すべく今川義元が
 三河に進出、松平の勢力圏を維持勢力下にした。

  永禄3年(1560)桶狭間の戦いで義元が首を取られ今川方は崩れた。

  永禄4年今川氏真、吉田城の小原鎮実に野田城攻めを命じ、飯尾豊前、小原肥前勢と
 城を取り囲んだ。一度は、はねかえしたが無勢の定盈は、今川の和をいれ城を明け渡し
 五本松に落ちた。

  1年後見附城(磐田)の堀越氏が反旗した為、小原鎮実は東三河の兵と遠江に向かった
 ので、定盈はそのすきを突いて野田城を取り戻した。急ぎ修復にも着手した。
 
  元亀3年(1572)武田軍が信濃より遠江に侵入、三方原の戦いで、家康を城内に敗走させた。
 信玄は年明けて三河に進出、野田城包囲にかかった。

  定盈は浜松の徳川家康に助けを求めたが、織田、徳川も援軍来ず、よく守っていたが
 武田勢に井戸の水脈を抜かれ、耐えていたが、城兵の助命と山家三方衆との人質の代わり
 として長篠城内の座敷牢に入れられた。  野田城は武田方のものとなる。
遠州古城・砦探訪会10月 (城址の城主のガイド)
  武田軍帰国途中、駒場で信玄が亡くなる。当然それを伏せたが、風評は流れ家康は
 直ぐ長篠城を攻めとっている。

  天正2年(1574)定盛は野田城に帰った。
  
  天正3年武田勝頼が徳川家康に取られた長篠城を取り囲み、織田、徳川軍の援軍も
 野田城に入り、設楽ヶ原に陣構えした。勝頼も設楽ヶ原に動き決戦場とした。
  織田・徳川勝利で戦国の体制が決したかにみえたが、後のドラマがいっぱい。
  
  定盈は決戦前日の夜間行軍の鳶ヶ巣山の奇襲隊に酒井忠次に同行し活躍し勝利した。
  長篠城を囲む5砦の最有力な砦で、武田軍の兵糧基地であった。

  6年前「鳶ヶ巣砦奇襲隊の通った道を歩く会」に参加させて頂き、吉川公民館より
 3時間30分ほど登り歩いた事がありました。

  語り継がれている事、野田城の「言葉合戦」が伝えられています。
  それは「信玄公は仁義の武将、名武将と聞たがこんな小城を落とすのに水を断って
  屈服せよとは、是、如何に愚将の所業成り、武田家末代まで、はじなり 槍合わせて
 勝負しろ」武田方から「水を送るべし、籠城の人数いかに」城兵、数百人であったが
 「三千と答える」と「茶碗6000杯分の水が毎日送られてきた」と言われ茶碗に銭を入れて
 かえすと、水が増分したと、`語り伝えられてている。

  信玄が毎夜、「城内から奏でる笛の音を聞きに出てくる」との話が入り、鉄砲の名手が
 堀の向こうに紙をつけた竹があるのをみつけもしや「夜の座る場所」ではと思い鉄砲を
 、木に固定して置き、笛の音の向こうに人声がしたので夕方、狙いを定めて木に固定して
 おいた鉄砲の引き金を引くと、動揺したような声が聞こえ「御大将と」の声もあったと
  このときの鉄砲傷で亡くなったとも伝えれれている。
遠州古城・砦探訪会10月 (城址の城主のガイド)
  野田城跡の現在の城主(土地所有者)加藤さんは野田城、定盛のまかないどころ、
 (勘定)処で加藤伝衛門から17代だそうです。現地探訪のおり、説明いただき、 銃の固定場所も教えていただきました。城跡の直ぐ下に住まいを構えておられます。

 
 愛知県県史、静岡県史、     HP史跡夜話 参考
  
  
 
  
  


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