横地城址 保存ボランティア

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 金寿城築城 嘉保元年(1094)古代の山城にそして守護大名斯波氏の戦闘の歴史の中に存在した横地城。
 この山域を中心に麓で暮らし、戦い時に山に入り、戦闘の人となり生活地域を守った横地一族です。
 
横地城址 保存ボランティア

 福井淳一氏のガイド説明で、探訪させて頂いた横地城跡は標高80~100㍍
 東西400㍍、南北460㍍の尾根の頂部の三つを谷の深い曲がりのはいった
細い通路で結んだ西城・中城・東城の三の郭が独立し、関連性を持たせ自然深い谷で囲まれた城域です。
 発掘調査によって築城年代、落城年代、鍛冶工房や生活空間など、解明された。
 文献からの横地の名の探求や、神社文書等や、一乗谷を数回尋ねられて
その発掘調査の百次を越す調査の確認、保存資料館の充実度などを見て帰られ、一乗谷城と横地城が地形的にも寺院の配列状態も非常に類似されて入るとのこと、横地がモデルではないかとおしゃって居られました。
行政を動かしての鈴木哲太郎氏尽力より有志を募って横地城跡文化財保存会を立ち上げ保存運動に取り組み、20ページに及ぶ充実した大学で学んでおられる、勉学の成果と、また現地に入られ学ばれた充実した論文を会員
全員に頂きました。ガイドと共に有難うございました

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祖先を持つ横地一族の人たちが今、5年ごとに「全国の横地さん大集合」の行事が昨年4月に5回目を迎えられ、この地で交流が行われたそうです。
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斯波義廉氏の意を受けた横地、勝間田が駿河から、遠江進出した今川義忠の攻撃に耐え、帰途の義忠を塩買坂にて撃つ。横地氏討死、明応3年(1494)
横地城に今川氏親・奥山勢の襲撃で落城した。永正3年(1506) 
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 私たちの探訪会も昨年10月、横地監物吉信が城代家老として本丸を守った八王子城跡と滝山城跡、訪ねました。
横地監物吉信が守っていたと言われる八王子城は、北条氏照の築城であり、八王子権現を守護神としました。 その横にある小さな祠は落城寸前に奥多摩へ落ち延びた横地監物が祀られています。奥多摩町のダム建設で湖底に沈んでしまうためにここに移されました。その横地社に手を合わせてきました。
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